新境地

今日は週の始まりです。

昨日はしっかり休養というかほぼ動いていないことで足の痛みも少し和らいだ感じです。

このまま痛みが無くなればいいのですが・・・

 

いつもの夕陽定点観察は曇り空のためどんより。

写真を撮るまでに無かったです><

 

とある心の本を読みました。

凄く刺さりました。

感想は下の方

 

@高橋

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

心の本。

全てはまだ読めてはいませんが、正直こういうのは学校で道徳としてしっかり学んだ方がいいのではと思うくらい。

わたしの今までの無知、わかってるつもりレベルの知識に愚かさを痛感するものでした。

その中で非常に心を打つ文面がありました。

文面をそのまま転載することはできないので、わたしの言葉にはなりますが載せたいと思います。

これは自分に取っても戒めというか忘れかけたときに読むためにここに記そうと思います。

 

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何かを共に成し遂げるを登山として例えてみましょう。

お互い頂上に立ちたいという個別目的一致の登山ではなく

同志、仲間、大切なパートナーとひとつの目的をもって歩むのことを例えた登山としましょう。

 

登山口で各々が想像する景色は、頂上から見る素晴らしい景色と達成感。

皆同じイメージで入山するのです。そこには一緒に入山するという大切な意味があります。

希望に満ちて入山、そして頂上の素晴らしい景色、達成感を一緒に共有することが一番の目的なのです。

 

登山路に咲く花、沢を流れる水の音、木の間から見える広大な景色を綺麗だねと一緒に見ては、頂上を目指すまでの小さな達成感を積み重ねで歩を進めます。

笑顔が絶えず楽しいことばかり。見るもの全てが新鮮に見えるものです。

同時に木の間から見える景色は、さらに登ればもっと綺麗な景色になるはずと好奇心が生まれます。

 

しかし人それぞれ体力(気力)の違いはあります。

自分が登ることだけで精一杯になり、気遣いができず無言になり

余裕がなくなると出る言葉も荒げてしまうこともあります。

登り始めて体力(気力)思いやりの気持ちに差が出始めます。

 

後れだしたひとを見る側であればどうでしょう?

予定より遅れていることに苛立ちを覚える人もいます。

どうした大丈夫かと寄り添う人もいます。

もうこのあたりで引き返そうかと提案する人もいます。

 

自分が遅れだした側だとすればどうでしょう?

もう下山したいと諦めているわけではありませんよね。

自分と戦っている状況です。

先行するひとに迷惑を掛けている気持ち、体力があれば登りたいのにどうしようもない自分に悔しい。

でも登りたい。でも登れない。掛けられる言葉を力に変えようとしているところなのです。

これがわからない人が多いのです。駄々をこねていると思ってはいけません。

同じ頂上を見たいと入山した気持ちは後れだした人の方が強いというのが常なのです。

 

そこで先行する側が掛ける声、後れを取っているひとの元まで降りて寄り添えるか

そのひとを背負って、上を目指すか、留まるか、下山するかの選択を聞いてあげれるか。

間違っても、上から早く上がってこい。と叫ぶようなことはしてはいけません。

後れを取っている人は、目的が”一緒に”が強いため必死に喰らいつこうとします。

それが体力(気力)の消耗を加速させるだけなのです。

 

また逆に先行する人の気持ちは、頂上まで明るい間に行って、一緒に綺麗な景色を見たい。景色を見せてあげたい。

もしかすると天候が変わるかもしれない。何より下山時間が掛かれば暗くなり危険が伴う。

先のリスクの想像をします。それは間違いでもありません。

ただ先のリスクを考えすぎて、目の前で起こっているリスクの発生に気付いていないのです。

 

 

では双方にある共通の気持ちはなんでしょう。

それは

”一緒に” ”共に”

ただそれだけなのです。

共有して持ち合わせる絶対的な気持ちは ”一緒に” ”共に” なのです。

それが双方が共有している気持ちの軸であることを絶対に忘れてはいけません。

双方の気持ちを目の前で起きていることに決して曇らせてはいけません。

その気持ちの体力(気力)のバランスを崩してしまっているだけなのです。

 

では頂上にたどり着くことが目的なのでしょうか?

いいえ違います。

もちろんたどり着ければそれに越したことはありません。

全てを”一緒に” ”共に” を忘れてはいけません。

共に歩むことが一番の目的であり、一緒であれば別の低い山でもいいのです。

途中で一緒に引き返してもいいのです。

体制を整えなおしてから同じ山に再度チャレンジしてもいいのです。

 

入山して登山路で観た花を一緒に綺麗だねと思えたその時を双方が思い出し、その気持ちを双方膨らませてください。

思い出して膨らませることができるならば、それが双方にとって頂上から見る景色以上の価値なのです。

 

もしどちらかが登山を諦めてしまったのなら、

諦めさせた自分を責めてはいけません。

諦めた自分を責めてもいけません。

登山路まで来たことに双方が感謝を持ち続けることがなにより大切です。

 

もし諦めさせた相手、諦めた相手と再び登山ができるようになったとしましょう。

再び登山路に入って目に映るものは景色ではなく、共にお互いを見ているはずです。

その景色こそが実は双方が本当に望む1番の景色なのです。

その気持ちを失敗から学ぶのではなく、双方が寄り添い、耳を傾けることで回避もやり直しもできるのです。

 

頂上に向かうことはあくまでひとつのきっかけということなのです。

 

 

 

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ほぼ原案に近いように言葉を少し変えてなので上手に書けませんが視野の広げ方を学べます。

どーんと胸に突き刺さります。

この内容を色々なものに当てはめると自分がしてきたことの間違いが多く見えます。

わたしは早く早くと前進ばかりして、登山路を反れてこっちのほうが早いはずと藪に入るタイプ。

それは共に歩む人に楽をさせたいがあるけど、足場が悪いことで余計にしんどい思いをさせてしまいます。

共に歩む人は登山路をゆっくり歩きたいと思っているのに、これが間違いないと無理に引っぱっているタイプです。

疲れ切ったものに昭和部活のスパルタのように急げ急げと鞭打つ愚かなタイプです。

結果、藪に入ってしまったことで道に迷い、不安にさせ余計に危険な目をあわせてしまいながらも、結果目的になんとか辿り着くタイプ。

目的にたどり着くまでに呆れられてしまうのがわたしですね。

今までのわたしの生き方に当てはめると見事なまで後悔しかありません。

 

 

会社の経営もそう。

登山路を歩むのではなく藪を切り裂いて新しい道を開拓するタイプ。

整備された道を歩くのを極端に嫌います。だから全て我流を貫きます。

それが価値と誇りだと勘違いしているのでしょう。

それが良く働く場合と、悪く働く場合があり、どちらが正解とも思いません。

ビジネスなら切り拓くは大切なことです。

ただ一人で登山をしているのではなく誰かと一緒にを忘れてはいけない。

皆の意見を聞いて、周りの意見を聞いて、前に進めなくてはいけない。

今の自分を見ず、先ばかりを見てしまうことで、勝手に余裕が無くなり勝手にあっぷあっぷになり

自分のプレッシャーに見事自分が溺れる。今の大切を見落とす典型的な不器用お馬鹿さんと思います。

 

 

こんな言葉もありました。

 

毒入りスープを飲まされる理由がどういう意味なのか。

毒を入れるひとの利益のみであれば許されません。

毒入りスープを飲まされる理由はなんでしょう?

飲まされた側の起因で毒を入れられたのであれば毒を入れる人の気持ちになるべきです。

こんなことするのか!ではなく、こんなことさせてしまうほどのことをしていたのかと。

 

これは捉え方によっては難しい解釈ですが、わたしはすごく意味は解りました。

以前に助言をいただいた言葉の意味がなんとなくで分かっていたことが、この例えで鮮明にわかりました。

苦しめられたではなく、なぜ苦しめられることになったか原因をしっかり考える。

どんなことが自分に起こっても、自分が間違っていたのではないかと、まず自分をを見つめなおさなくてはいけない。

相手の気持ちにまずは立つ。

それが毒入りスープを飲まされるという究極な状況であっても相手を重んじて理解できるかの例えということなんだと思います。

 

今まであまり本を読まないタイプでしたが、あるきっかけで本を頂いてから読むようになりました。

自分の価値観の変わり方に本の良さがわかります。

結果を出す。それだけがすべての正解ではないこと少しづつわかってきました。

ひとりで出す結果ではなく、共に出す結果。全てには人が絡むということを忘れてはいけないですね。

 

経営も人間関係も恋愛関係であっても、その切磋琢磨するストーリーで相手を重んじるということが、

なにより大切だということなんだと感じました。

 

この歳でこういうこと学んでる時点でだめなのかもしれませんね。

こういうことは何かがあってからしか学べないものだと思います。

どんなことでも後悔するよりも今学べていることを有難いと感じること、

学ばせてもらったひとに恩返しすることも大切ですが、まずは自分をしっかりもつことが必要ということなのだと

これを読んで思える自分になりました。

 

非常に良い本でした。

まだ4分の1しか読んでいませんが(汗)

 

@高橋