こころ

雑誌に興味深いコラムがありました。

漢字の語源。

 

忙しいの”忙”の語源

左のりっしんべんは心を意味するようで

”亡”は、なくすという意味。

心を亡くす。自分の心が外的要素に奪われるという意味らしいです。

自分の心の中心が、やらなくてはいけないことで見えなくなるさまと解釈できます。

所説は色々あるようですが、非常に興味深い解釈です。

 

では忘れるの”忘”は

”忙”の並びが違うだけではありますが、

心の中にあったものが無くなる。

という意味のようです。

この心とは自分の中心にある心だと思われます。

 

わたしはいつも仕事が忙しい、忙しいとやっておりますので

心を仕事の忙しさに奪われてしまい、本当の心を見失っていたのかもしれないと

この語源から感じ取れます。

実際忘れてることは多々あり過ぎました。

 

忘れてた。忘れよう。これも大きな違いはありますが

どこか切ない感じがします。

 

このことで学ぶことは

仕事に関して、忙しいことは有難い限りではありますが、忙しいの漢字の通りだけでは駄目だということですね。

忙しい中でも自分の心を忘れないようにしなくてはいけません。

それには、やるときとやらないときのメリハリ。わたしができていなかった心の休憩と自らを見るですね。

 

商売を始めてからは、いくら技術をあげても、販売の在庫を持っていても

それを求めにくる人、求める会社があるかないかであって、新規で商売立ち上げた最初はそのようなものは存在していません。

だからこそ、良い仕事をするはもちろん、好印象を持っていただけるように挨拶ひとつも大切にしました。相手の心を掴めるようにと。

求める会社や、人が集まるを増やすことが商売の基本であり、それが隙間なく埋まりだすことを求めて貪欲に日々奮闘し続けるものだと思います。

10年目で大きな試練があり、仕事の隙間が多くできた時がありました。

その時に”忙しい”のありがたさを痛感しましたが

そのせいで更に忙しいを求めすぎて、元々見失いかけていたものを更に多く増やす結果になったのではないかと思います。

 

 

わたしは未熟者なので忙しいことがどこか幸せであり安心、そして美学でした。

仕事が忙しいを求め続けていたのでしょう。

もちろんそのことで隙間ない仕事で今の会社存続に繋げれれたのは、ビジネスにおいては重要です。

忙しいが溢れれば、減らすのではなく自らの規模を上げればいいだけです。

それで余裕を獲得しなくては忙しいの繰り返しになります。

 

忙しいばかりでは置き忘れた”心” を持ち続けていられるかが重要で

それに自分が気付けるか気付けないかですね。

周りから気付かせてもらえるか、そして気付かせてもらったことを真摯に受け止めれるか。

そこで人間価値が変わるのでしょう。

その後の人間構成に大きく影響するのだと思います。

 

色々なことを背負い込んでしまい、ひとりでやりきろうとするところが私にはどうしてもあります。

忙しいことにどこか憧れや欲望になっていたのでしょう。

忙しいの度が越して、忘れるが生まれ、それで失うものが増えるのだと思います。

 

想いではなく実務と結果。それを貫いていましたしビジネスにおいてはそれは非常に大切です。

ただ全てがそうでは駄目です。機械のような人間になってはいけない。

人と人の繋がりは心が相すること”想う”になるのだとコラムには無いかった自分の解釈。

 

想う。想い。それはただの理想。それをどう形にするか。と思っていた自分がいましたが

想うや想いは本当に大切なものだと思います。

なにに対して自分の心の軸をしっかり置けるかが重要なんでしょうね。

 

忙しいだけで毎日過ごすのではなく、そういう目線もしっかり取り戻さなければですね。

 

そんないろいろな発見を待合室でしながら診察を待ちました。

右足負傷から1日。

少し痛みはやわらぎましたが、庇い過ぎて左の股関節の方が痛いです><

全てにおいてバランスですね。

 

@高橋